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last updated 1997/08/20

第97話(全130話)

自動車泥棒(1/2)




11 自動車泥棒

 ピートもまた閉じ込められたE棟から抜け出していた。ロボットである身が幸いして、彼は
鍵のかかったドアなど簡単に開けることが出来た。ロボットというのはなろうと思えば、空き
巣狙いにだってなれるのだとピートは気づき、それはそれで感心した。機械というのは本来の
目的を越えて、いつでも悪用できるものなんだ。使い方次第でそれは悪魔の道具にすらなる。
たとえばこのドンロンも同じだろう。パピロの言うことがそのまま事実だとすれば、この船は
別にほかの国々を脅かそうと思ってるわけじゃないらしい。ドンロンはいま世界の危機を教え
ている、そんな「予兆」を集めているらしい。だとすれば、この船は世界を守ろうとしている
わけで、世界中から「頑張れ」と声援を受けてもいいはずだ。なのにこれは大戦艦として恐れ
られている。つまりはこれがとてつもなく大きな機械だからだ。機械はいつどこで悪魔の手先
となるかわからない。そんなそこはかとない恐怖が誰の胸にもあるから、だからこの船は「夜
の恐怖」という名を水平線の彼方まで轟かせているのだろう。
 ピートはそう思った。
 パピロが数メートル先を歩き、その大きな耳で人の気配を敏感に察知しながら、ピートに進
むべき方向を教えてくれている。囚われの身であるらしいのは、確かだから勝手に外を歩き回
ってるのがみつかれば騒ぎになるだろう。ピートもパピロもそれがわかっていた。もし勝手に
出歩いてあちこち見学してもいいよ、というのなら、そもそもドアに鍵などかけられなかった
はずだから。抜き足、差し足で壁を背にカニ歩きでピートは進んで行く。
 どこからか和やかな声が聞こえてくる。家族で夕食を採っているような雰囲気だ。近くの丸
窓から室内を覗いてみると、ケダック人なのだろう一家がロウソクの明かりの下で暖かそうな
スープを飲んでいた。子供が何か言い、両親が楽しそうに微笑む。子供は両親の笑顔を見て、
それがとても嬉しいというように笑ってる。ピートは思わずみつめてしまった。自分には経験
したことのない団欒だった。パパがいて、ママがいる。それが当たり前のように思っている子
供が窓の向こうで笑っていた。
 きみは知ってるかい? パパとママが寄り添っていてくれることほど、暖かな風景はないん
だよ。その暖かさがきみにはわからないかもしれないね。いつも毛布に包まっている子供は毛
布の存在すら忘れてしまう。それを無理にはぎ取られてみて、はじめて子供は毛布の暖かさに
気づき、毛布のない寒さを知るんだ。
 ピートは窓の向こうの子供にそんなことを語りかけていた。きみも毛布の暖かさに気づくべ
きだ、と思い、そんなことを思ってしまう自分の残酷さに驚いた。
 気づかないほうがいいんだ。毛布のない寒さなんて一生知らないでいれば、それがいちばん
いいんだ。そんなこと、ぼくが知っていればそれでじゅうぶんだ。ぼく以外の誰もそれを知ら
ずにニコニコとパパとママに囲まれていて欲しい。それが自然なことなんだから。それがいち
ばんなのだから。
 ピートは窓から目を逸らした。マッチ売りの少女がマッチの火の中に幻視した団欒を、いま
自分も観ているのだと思った。窓の明かりは、マッチに灯る炎のように、やわらかくゆらゆら
と揺れていた。船が揺れているせいではなく、それはピートの瞳にあふれた涙のせいだった。
 母さん。ぼく、母さんに逢いたいよ。
 ふいにピートはその思いにかられた。あまりにも唐突に、その思いはピートの心の中心から
膨れ上がり、あっという間にピートを飲み込んでしまう。窓の向こうの笑い声が引鉄だったの
かもしれない。それとも窓の明かりそのものがピートの心の琴線を弾いたのかもしれない。ピ
ートは自分が嗚咽しているのに気づき、驚く。
 母さん、母さん、母さん!
 叫んでいる。心が叫んでる。逢いたい、逢いたいと泣き叫んでいる。
 突然の激しい心の乱れにピートは、どう対処していいかわからない。テオへと迷い込んで、
こんなにマリイアを求めたのははじめてだった。母のぬくもりが痛いくらいに懐かしかった。
なのに機械の体でどうやれば、そのぬくもりに甘えられるのかわからず、それがピートの心を
引き裂いた。母さんだって、冷たい機械の体を暖めるのは難しいだろう。こんな冷たい体で抱
きついたら、母さんの風邪はもっと悪化してしまうかもしれない。機械にはいつだって悪魔の
道具に変わってしまう可能性があるのだから。
「マスター、何やってんだよ。脱獄囚がのんびり物思いに耽ってていいと思ってるの?」
 パピロが言う。大きな声なのだが彼は気にしない。どっちみち他の人間にはチュウチュウと
しか聞こえないのだし、船にネズミは付き物だ。それはテオとて同じだろう。
 しかし物思いに耽ったり、感傷に胸を引き裂いたりしている場合じゃないのは確かだ。ピー
トは機械の体の中に迸る涙を無理に押さえ込んで、暖かな光の灯る窓から離れた。
「マリカはどこに連れて行かれたんだろう?」
「彼女はお姫さまだからね、おいらたちみたいな倉庫じゃないのは確かだろうな」
「マリカがお姫さまだってこと、本当に喋っちゃったんだね」
「もちろんだよ。だってすごいじゃない。お姫さまの家来になったのなんて生まれてはじめて
だもの。みんなに自慢しなくちゃ損じゃないか」
「彼女はケダックにそれを知られたくなかったんだよ」
「それは彼女が悪い。おいらのせいじゃない」
「どうして」
「おいらはフィンクとグリフォンとロボットを連れたお姫さま、と言っただけで、直接ほらあ
の人がお姫さまですよって指さしたわけじゃないもの」
 指をさしたくても檻に入れられていたから出来なかっただけじゃないか。
 ピートは胸の中でそう言ったが、どっちみち、すでに喋ってしまったものは仕方ないし、責
めたところでパピロが反省するとも思えなかった。これもまたひとつの「風」なのだとピート
は思うことにした。パピロがこの船に捕まったこと自体に、偶然を支配する女神の画策が感じ
られる。マリカはケダックに捕らえられる運命だったのだろう。あの透明なピラミッドがケダ
ックのものだった時点で、彼女はいずれ捕らえられる運命から逃れることはできなかった。あ
そこでフィンフィンがピラミッドを引き上げてこなければ、マリカの命は助からなかったのだ
から。

(つづく)




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